友達と職場の人との付き合い方は違う?

こんにちは、よすみです。

みなさんは友達と職場の人との付き合い方を変えていますか?

たまに、職場の人とプライベートでも仲良いです!というタイプの人もいるじゃないですか。

私は、そうできたらいいのになぁと思いながら基本ちゃんと線引いちゃうタイプです。

本当は先輩にご飯に連れて行ってもらったり、逆に後輩を連れて行けたりする方がいいとは思うんですけどね…

友達とは気軽に話せるのに、職場の人が相手だとなぜか遠慮してしまったり、友達と接するときとは違う気遣いをしてしまったり。

職場の人とどう上手く付き合うかって難しいですよね。

私はその難しさを感じてから、なるべくプライベートで深く関わるのはやめようと早くに決めてしまいました。

お陰で今は友達も仲良い先輩後輩もかーなり少ないです。人望皆無です。

働き始めた当初はなるべく付き合いはした方がいいだろうと思い、遊びまでは行かずともご飯程度は行かせて頂いていました。

アクセサリーショップで働いていた時、スタッフ全員でランチに行く機会があったんです。

みなさん楽しく話しながらとてもお上品な食べ方をするもので…平たく言うと食べるのがちょっと遅かったんですよ。

当時21歳、食欲旺盛で早食い上等だった私は「皆さんに合わせていつもの半分のスピードで食べる」という変な気遣いをしていました。

他の職場の先輩とご飯に行った時も、別の変な気遣いをした事がありました。

普段あまり見ない料理がたくさん載っているお品書きに目を輝かせる私に先輩は「遠慮しないでいいからたくさん食べて!」と言ってくれました。

こんなの、めっちゃ優しい先輩じゃないですか!

お言葉に甘えて料理を注文し、もうお腹いっぱいになってきたかなぁというタイミングでまた先輩から一言。

「まだまだ遠慮せずに食べていいからね!」

あれ、私あんまり食べてないように見えたかな?と思いまた数品注文。

せっかくの気遣いに応えようと思い、結局お腹がいっぱいになっていたにもかかわらず、無理をして食べ続けてしまいました。

最後に頼んだ大根の唐揚げがあと1つでも多かったら、本当にお腹がはち切れていたかもしれません。

先輩に気を遣っているつもりが、いつの間にか自分自身に無理をさせてしまっていた…そんな経験でした。

相手に気を遣って自分の気持ちを後回しにしてしまうと、知らないうちに疲れてしまうこともありますよね。

私自身が先輩を変に気遣っていたために、20代後半になった今、後輩をご飯に連れて行ったとしてもすごく気を遣わせてしまうんじゃ…と思い中々誘えません。

そんな事を考えて生きていたら、ご飯に行けるくらいの仲の方が両手に余裕で収まるくらいしか居なくなってしまいました。

私もまだまだ人間関係ど素人です。

どちらかに無理に合わせるのではなく、相手を尊重しながら、自分にとっても心地よい距離感を見つけるプロになりたいですね。

みなさんは、友達と職場の人とで、付き合い方を変えていますか?

職場の人とガンガン上手く付き合えてるぜ!という方、ぜひ私に付き合い方を教えてください…(土下座)

みんな、土に触れているかい?

西原に5坪の畑を借りています。
管理人が常駐しているので、毎日水やりのためだけに行く必要はありません。週に1回くらい行って、肥料をあげたり、支柱を立てたり。
これがまた普段使わない筋肉を使うんですよね。雑草を抜くだけなのに、中腰で足元が柔らかい中を進むので、もも裏のインナーマッスルが鍛えられると言いますか、3日間くらい筋肉痛を引きずります。レンタル料もジムの月額会費くらいなので、運動だと思うとちょうどいいです。

しかしこれが気を抜いたらサボるサボる。
まだ暑いだの、道が混んでるだの何かと理由を付けては行かなくなる自分がいて、1年くらい耕作放棄地にしていた時期もありました。

これではいけないと思い、もうこれは「仕事」としてスケジュールを押さえて、毎週木曜の早朝(日が昇っていないし道も空いている)に滅多なことが無い限りは行くように設定しました。
少しでも「出勤」の感覚を薄めようと思い、畑に行くまでの片道20分はツーリングだと言い聞かせ、朝そばを食べてみたりなんかして。自分の機嫌を取る仕掛けは散りばめてやっています。

そこまでしてやって、未だに収穫はゼロ!
食べ切れなかった分を箱いっぱいに詰めて友人に配り歩く、野菜おじさんになりたいのですが、今年の収量は異常にデカいオクラ1本だけです。

そうなってくるとやはり妻は「その月額で野菜を買えば良いじゃない」と言い出す。返す刀で「これは成長の楽しみを味わう出費だから!」と反論。「その割にオクラ1本って何なのよ」と妻。「結果を見るかプロセスを見るかだな!こっちの方がロマン溢れる人生だと思うけどな!」と、自分でも驚くほどの昭和平成から続く常套句「男はロマン」論を振りかざしていました。
しかしオクラ1本は確かに情けないぞ。(でも月額は自分の財布から出しているので文句を言われる筋合いなど無い)

そんな大赤字を垂れ流している畑作業。なぜ自分に鞭を打ってまで続けているかと言いますと「人は定期的に土に触れておいた方が良い」と思っているからです。
何と言っても一次産業の大変さが骨身に染みる。そして現代社会はサイバー的な進化を加速させますけど、ヒトの動物としての進化は、到底そこに食らい付けないじゃないですか。
少しでもデジタル疲れを感じるのなら、そこはもう原始からの営みを補給した方が人間らしくいられそう!と思ったわけです(皆さん大丈夫です、過度な心配はしないでください)

結果を瞬時に出すAI社会の速さの中で、ゆとりまで食われたくない。「待つ」という時間を楽しみたい。土を触ると小学生の時の生活科の授業を思い出して何となくリセットされる気持ちになります。

学生から社会人になる中での情熱の変化

学生から社会人になることを、不安に思う人は多い。

「ちゃんとやっていけるだろうか」「社会は厳しいと聞くし……」――そんな声を、これまで何度も耳にしてきた。

その不安の正体は、たいてい一つに行き着く。「責任」である。

ただ、ここで一つ伝えておきたいことがある。社会人になるというのは、不安なことばかりではない。むしろ、そこには学生時代にはなかった面白さが待っている。

今回は、学生から社会人になるなかで、気持ちや情熱がどう変化していくのかについて、お話ししたい。

1.責任を背負う。でも、その分やれることが増える

社会人になって、学生時代と一番変わること。それは、やはり「責任が伴う」ということだ。
学生のうちは、良くも悪くも、周りに守られていた。失敗しても、誰かがフォローしてくれたし、大きな結果を求められることも少なかった。
しかし、社会人はそうはいかない。自分の仕事には、自分で責任を持つ。お金をいただいて働く以上、当然のことである。
ここだけを見ると、確かに不安に感じるかもしれない。
だが、逆に言えばどうだろう。
責任を持てるということは、「やれることが増える」ということでもあるのだ。
自分の裁量で動かせる仕事が増え、任される範囲も広がっていく。これは仕事だけの話ではない。自分で稼いだお金で、行きたい場所へ行き、やりたいことに挑戦できる。プライベートの自由も、ぐんと広がる。
責任と自由は、いつもセットなのだ。

2.チームで働くなかで、気持ちは少しずつ変わっていく

会社という組織に入ると、もう一つ、大きな経験が待っている。
それは、「チームで目標を達成する」という経験だ。
一人では到底できないことを、みんなで力を合わせて成し遂げる。その楽しさもあれば、思うようにいかない難しさもある。意見がぶつかることもあるだろう。
そうやってもがいているうちに、ふと、できる先輩の姿が目に入るようになる。
難しい仕事を、涼しい顔でこなしていく先輩。周りから頼られ、認められている先輩。
そういう人を間近で見ているうちに、心の中に、小さな火が灯り始める。
「自分も、こうなりたい」
「いつか、大きな仕事を任されたい」
「もっと認められたい」
――これが、情熱の芽生えである。
もちろん、いつもこうなるとは限らない。なかなか火が灯らない時期もあるだろう。
それでいい。焦る必要はまったくない。

3.情熱は、内側から燃えてくるもの

では、その情熱を、どうやって育てていけばいいのか。
答えは、これまでもこのコラムで何度も伝えてきたことと同じである。
まずは、目の前の仕事を、しっかりやること。
地味に聞こえるかもしれない。けれど、これに勝る方法はない。
目の前の仕事に真剣に取り組んでいると、不思議なことが起こる。1年目、2年目、3年目と年を重ねるごとに、自分の情熱が少しずつ変化していくのが、はっきりと分かるのだ。
最初はただ必死だっただけなのに、いつの間にか「この仕事をもっと良くしたい」と思っている。できることが増え、見える景色が変わり、やりたいことが生まれてくる。
ここで、一つだけ覚えておいてほしいことがある。
情熱とは、誰かに与えてもらうものではない。内側から、自然と燃えてくるものだ。
会社が火をつけてくれるのを待っていても、なかなか燃えない。自分の手で、自分の情熱を見つけにいく。その姿勢こそが、何より大切なのである。

まとめ

学生から社会人になることは、確かに不安だ。責任という重さが、肩にのしかかる。
けれど、その責任の向こう側には、学生時代には味わえなかった自由と、やりがいが広がっている。
チームで働き、できる先輩の背中を見て、少しずつ気持ちが変わっていく。
その変化を信じて、まずは目の前の仕事に全力で取り組んでほしい。
1年目、2年目、3年目――積み重ねた先に、自分だけの情熱が、必ず見つかるはずだ。
情熱は、内側から燃えてくるもの。そしてそれは、自分で見つけるものなのである。

バイトで出会ったお客様とのやり取り

こんにちは、よすみです。
私は芸人をする傍ら、コールセンターのオペレーターとして深夜に働いています。
いつもは仕事といえば芸人や過去のバイトの話ばかりしていたような気がするので、今月は絶賛労働中のコールセンターのお話をしてみようかなと思います。

コールセンターでは様々なお客様からのお電話を対応します。
とても丁寧にお話される方から、一言目から既にブチギレている方、更にはベロベロに酔っ払いながら電話してくる方まで、本当に様々。
そんな方々を対応している中で、「なぜだろう?」と興味深く感じるお客様とのやり取りはやっぱりいくつも出てきます。

中でも印象に残っているのが、「誰が対応するか」を気にされるお客様です。
稀にですが、私が男性のお客様から電話を受けた際、「お前じゃ話にならない、男に代われ」と言われることがあります。
また男性オペレーターが女性のお客様から電話を受けた際、「上司に代わって」と言われることもあります。

私がコールセンターで働き始めたばかりの頃、先輩である男性オペレーターが女性のお客様を対応した際、案内内容に納得頂けず揉めていた事がありました。
その後に私が同じ女性のお客様からの電話を対応した際には「あなた上司でしょ、あの男性オペレーターの対応が良くなくて…(以下省略)」と言われました。
私は上司どころかバリバリの新人だし、むしろ先輩である男性オペレーターへのクレームを聞かされるのはかなり気まずかったのですが…

私が謝罪しながら同じ内容を再度案内したら、思っていたよりすんなりご納得頂けたんです。
オペレーターが変わったからといって、案内できる内容が変わるわけではありません。
同じ会社のオペレーターであれば、基本的な対応や案内できる範囲は同じなのに、それでも「男性に対応してほしい」「女性に対応してほしい」「上司に代わってほしい」という希望が出てくるんです。

このようなやり取りを何度か経験するうちに、私は「人は、何を言われるかだけではなく、『誰から言われるか』も意外と大切にしているのかもしれない」と感じるようになりました。
電話越しでは相手の姿が見えません。
それでも声や話し方、あるいは「誰が対応しているのか」という情報だけで、相手の受け止め方が変わることがあるんだと思います。

コールセンターの仕事は、決められた内容を正確に案内する仕事です。
働き始めの頃は、いかに内容を正確に案内できるかという事だけを考えていました。(もちろん1番大事だけど!)
しかし様々なお客様とやり取りするうちに、同じ内容を案内していても誰が話すかによって相手の反応が変わるという「人と人とのやり取り」の面白さに気づくことがあります。
たまーに、クレーム対応に萎縮する事や、もういっそ辞めちゃおうカナ!?と思うようなお電話もあったりしますが、こんな気付きを得られるのはたくさんの方とお話できるコールセンターならではの良さですよね。

日々の電話対応の中で出会う「ちょっと不思議で、ちょっと興味深い出来事」を楽しみながら、芸人とバイトそれぞれの仕事を、これからも自分らしく両立していきたいと思います。

辞めて、始めて、自分を固めて

娘が2年ほど続けていたスイミングを辞めると言った。
小さな子なので気分で言っているだけで、のちに後悔するかもしれないと思って、もう一回だけ行こうと伝えた。
その次の習い事を終えたら、拍子抜けするくらいの清々しい表情で「やめるぅぅうう!!!」と言って辞めた。明るかった。なんとなく始めてなんとなく辞めた。

何かを辞めることは決してわるいことではなく、どうしてもモチベーションが伴わない、自分には才能がないと諦めることはむしろ前進だと思っている。
目標もなく続けて時間が過ぎるより、次のフィールドへと転換する選択は早めに判断していった方が良い。
続ける理由はそこにあるのか、辞めるにしても自分が納得しているかどうか。気持ち良く辞めるために頑張っているところもある。

娘は「なんとなく」スイミングを辞めた。
でも先の清々しい表情の「やめるぅぅうう!!!」は、充分辞めるに値すると思った。

私はあいにく、所謂「スポ根」が苦手で、部活をそこまで一生懸命やっていない学生時代を過ごした。
「学生の頃は何部だったの?」という質問に「陸上、バスケ、ハンド、バレー…」と答え、おそらくお互いの共通点を見出そうと思った先方を困らせることだってしばしばである。
でも、モチベーションが伴わない自分の胸にある正直な感情は、どうしようもないと割り切って次に進むしかない。

人生の中で、辞める経験も必要なのではないかと思っている。辞めてはならないという呪縛を背負って息苦しい思いはして欲しくない。
何かを外すと、何かを得られる。その繰り返しの中で、確固たる自分の譲れない好きな何かをコレクションしてもらいたい。

ただ辞め続けるのは良くないよ。次の目標を見つけるため、積極的に降りる。降りた後は出会う。出会ったあとは固める。
私が最も好きなラジオの仕事は、気が付くと20年ほど関わっている。続くものは続くし、続かないものは続かない。

息子が少年野球を始めた。これまでキャッチボールをしたことがないのに突発的に入部した。
この初期衝動の芽を大切に育んでいきたい。野球用具を揃えるのは高かったよ。
「高いお金を払って揃えたんだから辞めないでよ」とは決して言わない。「高いお金を払って揃えたけど続ける辞めるは気にせず」とは伝えた。
始めたいと思ったことは全部やらせてあげたい。その様々な初体験を繰り返して、これだ!という自分の譲れない分野を見つけて欲しい。

若年層へ!管理職の考え方を知ることでわかること

仕事に慣れてくると、直属の上司だけでなく、そのさらに上の管理職から直接話を聞いたり、ときには指示を受けたりすることも増えてくる。

そのとき、こう思った経験はないだろうか。

「何でそこまで考えられるんだろう」と。

先の先まで見通しているような発想や、思いもよらない角度からの指示に、思わず感心してしまう。

いったい管理職は、何を考えて、あのような指示を出しているのか。 今回は、その頭の中を少し覗いてみたい。管理職の考え方を知ることは、あなた自身のキャリアにとっても、大きなヒントになるはずだ。

1.課長という役割が背負っているもの

そもそも「管理職」とは、一般的に課長以上のポジションを指すことが多い。

では、その課長が背負っているものは何か。

それは、「自分の課で、目標を達成すること」である。これが、課長にとっての最大のミッションだ。

プレイヤーであるメンバーは、目の前の自分の仕事に集中していればいい。しかし課長は、課全体の数字や成果に責任を持つ。

だから、見ている景色がそもそも違う。

一人ひとりの仕事の合計が、課の目標に届くのか。届かないとしたら、どこをどう埋めればいいのか。常にそこを考えている。

あなたが「なぜこの人はこんな指示を出すのか」と感じたとき、その背景には、たいてい「課全体の目標」という視点が隠れているのだ。

2.管理職は、常に一歩先を考えている

目標を達成するために、課長は何をしているのか。

まず、達成までの道筋を描く。そして、壁になりそうなことを、事前に取り除いておこうとする。

「このままいくと、ここでつまずきそうだ」「ここは早めに手を打っておこう」――そうやって、問題が起きる前に手を打つ。

それでも、イレギュラーは必ず起こる。想定していなかったトラブルや、急な変更。管理職は、その対処にも追われる。

さらに、もう一つ大事な役割がある。それは、経営者の考えをかみ砕いて、メンバーに伝えることだ。

経営者が語る大きな方針は、そのままでは現場に届きにくい。それを、自分たちの仕事に落とし込める言葉に翻訳して伝える。これも管理職の重要な仕事である。

こうして見ていくと、あることに気づく。

管理職とは、常に一歩先を考えている生き物なのだ。

目の前のことだけでなく、その先で何が起こるかを読み、先回りして動く。あの「なぜそこまで考えられるのか」という感心の正体は、この”一歩先を見る習慣”にある。

3.その考え方は、後から身につけられる

ここで、朗報をお伝えしたい。

この「一歩先を考える力」は、生まれ持った才能ではない。後から身につけることができるものである。

では、どうすれば身につくのか。

おすすめしたいのは、日々の仕事のなかで、「自分が管理職だったら、どう考えるだろう」と想像してみることだ。

上司から指示を受けたとき、「言われたからやる」で終わらせるのではなく、「この人は、なぜこの指示を出したんだろう」と考えてみる。

トラブルが起きたとき、「自分が責任者だったら、どう判断するだろう」とシミュレーションしてみる。

最初は、的外れでもかまわない。この”訓練”を繰り返しているうちに、視点が少しずつ高くなっていく。

そして気づけば、目の前の仕事の意味が、これまでとは違って見えてくるはずだ。

この訓練を続けた人には、もう一つのご褒美がある。それは、管理職への道が、自然と近づいてくるということだ。

会社は、”一歩先を考えられる人”を、次のリーダーに選ぶからである。

まとめ

管理職の指示に感心したとき、それをただ「すごいな」で終わらせるのはもったいない。

その裏側には、課全体の目標を背負い、道筋を描き、壁を取り除き、経営者の言葉を翻訳し、常に一歩先を見る――そんな思考がある。

そして何より大切なのは、その考え方が、あなたにも後から身につけられるということだ。

「自分が管理職だったら、どう考えるか」。

この問いを、日々の仕事のなかで自分に投げかけてみてほしい。

その積み重ねが、あなたの視点を高くし、キャリアの選択肢を大きく広げていくだろう。

学生生活ではこんな感じでした

こんにちは、よすみです。このコラムを読んでいる皆さんには、いま芸人という仕事をしている私がどんな学生だったか想像できるでしょうか?

友達が多くて明るいタイプ?クラスを引っ張っていくタイプ?

いいえ、真逆です。

率直に言ってしまうと、私はクラスの隅にいる隠キャ学生でした。

んで隠キャなのになぜかダンス部に入っていました。世界初の隠キャダンス部、爆誕です。

そんな私、特に高校2年生の時なんかはクラスに友達が居なくて(部活が同じでまぁ話せる程度のクラスメイトは居たものの、友達か…?という感じ)休み時間の過ごし方は、本を読むか寝るかの2択でした。

誤解されないように先に言っておきますが、別にいじめられていた訳ではないですよ!

ただ私自身、合わない人と無理してまで一緒に居たくはないと思うタイプなので、それを曲げずにいたら1年間通して1人も友達ができなかったというだけで…。

そんな頑固さ、早く捨てておけばいいものを…。

高2の頃の私はこの思いを曲げな過ぎて、英語の授業の課題だったグループ発表を1人でやった事があります。

英作文を考えて、それをグループで発表するというものでした。

基本2〜3人の友達同士などで組むものだったんですが、組める人がおらず1人でやり切りました。

私は英作文をすべて自分で考え、クラスのみんなの前で1人コントのように発表しました。

今思えば、あれが人生初のピンネタ披露だったと思います。

後から他のグループの発表を見ると、ほとんどが芸人のバズっていたコントを英訳したものばかりだったので、心の中で(ありネタOKなんだったら教えてよ…)と思っていました。

でもありネタOKなんて知る由もないんです。だって教えてくれる人はいないし、私も別に誰かに聞く事はないんだから。

そんな高2のクラスなんですが、クラスメイトは明るい運動部多めで副担任も熱血体育教師というかなり仕上がったクラスで、文化祭などイベント事があれば昼食は必ずクラス全員で揃って同じご飯を食べていました。

これは熱血副担任の「同じ釜の飯を食い、共にイベントを乗り切ろう」という熱い思いの元で、副担任自ら大量のカレーと、手のひらサイズのドデカポーク卵おにぎりをこしらえて下さいました。

考えが合うかどうかは別として、その副担任のご飯がまぁー美味しいんですよ!

このポーク卵おにぎり、かなり大量に作ってくださるので何個かは必ず余るんですが、ここで私は謎の度胸を発揮します。

余ったおにぎりは余った分貰うんです。

明るい運動部でもなく、盛り上げ隊のような子でもなく、その時ばかりは私が前に出ておにぎりを2個貰いました。

他所からどんな目で見られていたか分かりませんが、両手に持ったドデカおにぎりを見て幸せな気持ちになった事だけは確かです。

あまり自覚していなかったですが、今思うと当時の私は変に我が強く、変に度胸のある人間だったなと思います。

そんな私でも平和に過ごせていたので、そっとしておいてくれた周りのクラスメイトには感謝しないといけないですね。

この性格だからこそ、今の芸人という仕事も続けられてるんだろうなぁと思いますし。

どんな人間でも、適するお仕事があるもんだなぁ。

「地元から離れてみる」という理由を今一度考える

「一度は沖縄から離れてみるべきか」という問いに触れることが結構ありますよね。

そりゃあ、全うな回答になってしまいますが、出た方が良いとは思います。行動しなければ現状維持ですが、行動したら前進だからです。

引っ越した先の生活が自分の思うように行かなくても、それは後退ではなく経験から来る気付きなので、どっちに転んでも前進だと思うからです。

かく言う僕も、20代前半の頃は中央に憧れ、現在のような喋る仕事を東京で目指したいと思っていた時期がありました。

行ったら行ったでジワジワと沖縄のラジオ文化が光り輝いて見え、今に至るわけですが、これは一度出たからこそ気付いた自分の中の素直な変化でした。

拠点を移した結果、個々に感じることはあると思いますが、これは普遍的に享受できるであろうメリットを今一度考えてみました。

まずは、①「ひとつ手前のコミュニティに安心感が湧く」。

高校生の時は自分の住む市町村を地元と呼んでいたのが、県外に行くと沖縄県を地元と呼ぶ。海外に行くと、日本の良さに気付き恋しくもなるでしょう。

現在地を動かせば動かすほど、安心できる場所が広がっていく感覚になると思います。

そして、②「自分のアイデンティティが『広く深く』なる」。

「狭く深く」の誤植ではないですよ。しっかり「広く深く」なると思っていますよ。

人や文化との新しい出会いは、良い意味での比較をもたらして、自分自身を確固たるものに近づけてくれます。

上京して初めて沖縄に帰った夏、道ジュネーを見て泣いてしまった自分に驚きました。それは髄に染み込んだノスタルジーが溢れていった感覚でした。もしも僕が海外に住んだら、演歌を聴いては号泣するのでしょう。

この懐かしいという感覚が、自分の帰属意識を考えさせてくれました。翻って、祖父母のルーツである宮古島にも愛着が湧いてしまった程でした。

最後に、③「後悔を抱えたままの人生にならない」。

これは、外に出たいという気持ちを抱えたまま出なかった場合なのですが、あれやこれやと理由を並べる今になってしまうでしょう。

自分の選択に言い訳をしない、自分の人生は自分で責任を取って決めてやったという清々しさを得ることはできると思います。

そして、そのタイミングはいつが最適か。それはもう単純明快で、出られる時!

僕も出た方が良い論者ではありますが、やはり短絡一方的に、沖縄から離れて外の世界へ!とは言えない。

家庭環境や金銭面、人にはそれぞれの事情がありますから。

それに、沖縄を出ること自体に意味を感じているかというのも大切なポイントでしょう。

仕事に絞って話すと、地元沖縄で本気で勝負に出ている方もたくさんいらっしゃいますし、沖縄は勝負できる場所とも思っています。

東京・大阪などの大都市圏とも物理的な距離は離れていれど、アクセスの便利さは国内有数の土地ですし、何よりアジアを目論む人はむしろ沖縄に軸足を置いた方が有利とも言えます。

ただ、そこまで大それたことを考えていなくても“ただ住んでみようかな”くらいでも立派な意味になるとは思いますが。

移住と考えるとハードルが高くなりますので、引っ越しと考えたら気も楽でしょう。

飛行機も安くなりましたし、毎日無料でテレビ電話もできます。

あなたの地元である沖縄はいつも手元にあると考えて、人生の合宿くらいの気持ちで考えてみても良いのではないでしょうか。

終身雇用の考え方はもう古い?

「三種の神器」という言葉を聞いたことがあるだろうか。

神話に出てくる宝物のことではない。かつて日本企業の強さを支えた、日本的経営の三つの柱――「終身雇用」「年功序列」「企業別労働組合」のことである。

なかでも終身雇用は、多くの人が「当たり前」だと思ってきた働き方の前提だった。

しかし今、その前提が崩れ始めている。

今回は、終身雇用という考え方が変わりつつある時代に、私たちはどう働き、どうキャリアを築いていけばいいのかを、一緒に考えてみたい。

1.成長の時代に、日本的経営はうまくかみ合っていた

そもそも終身雇用とは、一度採用した社員を、原則として定年まで雇い続けるという仕組みである。

働く側からすれば、大きな失敗をしない限り、定年まで安心して働ける。これほど心強いものはない。

その代わり、会社の指示に従い、命じられた部署で、命じられた仕事をする。転勤も配置転換も、基本的には受け入れる。そういう”暗黙の約束”の上に成り立っていた。

この仕組みは、日本経済が右肩上がりで成長していた時代とは、非常に相性が良かった。

経済が成長し続けるという前提があれば、会社は社員を長く抱え、時間をかけて育てることができる。社員も、会社に尽くせば、その分だけ給料も役職も上がっていく。

お互いにとって、合理的な関係だったのだ。

2.環境が変わり、働く人の意識も変わった

ところが、時代は大きく変わった。

経済は以前のように成長しなくなり、会社が「定年まで面倒を見る」と言い切ることが難しくなってきた。

大企業のトップですら「終身雇用を守っていくのは難しい」と発言する時代である。

そして、変わったのは環境だけではない。働く人の意識も、大きく変わった。

一つの会社に一生を捧げることが正解だとは、もう誰も思っていない。転職も、副業も、独立も、当たり前の選択肢になった。

「会社が守ってくれる時代」から、「自分でキャリアを守る時代」へ。

これは、ある意味で厳しい変化である。会社に委ねていればよかったものを、これからは自分で背負わなければならない。自己責任という言葉が、より重くのしかかってくる。

しかし、見方を変えれば、これは自由でもある。会社の都合に合わせるのではなく、自分の意志でキャリアを選べる時代になった、ということだからだ。

3.これからは、自分でキャリアを設計する時代

終身雇用が前提でない時代とは、言い換えれば、個人が自分の手でキャリアをつくっていく時代である。

では、どうすればいいのか。

私がおすすめしたいのは、「将来、自分はどう在りたいか」から逆算して考える、という方法だ。

5年後、10年後、どんな仕事をして、どんな自分になっていたいか。それが見えれば、そこに近づくために、今どんな経験を積み、どんなスキルを身につければいいかが見えてくる。

目的地が決まっていれば、進む道も選びやすい。これが、キャリアを自分で設計するということである。とはいえ、「どう在りたいか」なんて、そう簡単に決まるものではない。今この瞬間に、はっきりとした将来像を描けている人のほうが、むしろ少ないだろう。

だが、決まっていないからといって、焦る必要はまったくない。

そういうときは、まず目の前の仕事を、精一杯頑張ってみてほしい。

目の前のことに真剣に取り組んでいると、不思議と誰かが見ていてくれるものだ。そして、思いがけないタイミングで、新しい役割や、面白い仕事のチャンスが巡ってくる。

そのチャンスをつかんだ先に、「あ、自分はこういうことがやりたかったのか」と、なりたい自分が見えてくることも多い。

将来から逆算するのも一つの道。目の前を全力で走るのも、また一つの道なのだ。

まとめ

終身雇用という仕組みは、確かに古くなりつつある。

会社が一生を保証してくれる時代は、もう戻ってこないのかもしれない。

けれど、それを悲観する必要はない。

むしろ、自分のキャリアを自分の意志で選べる、自由な時代がやってきたと捉えたい。

将来どう在りたいかが見えている人は、そこから逆算して進めばいい。

まだ見えていない人は、目の前の仕事を全力で頑張ることで、道はひらけていく。

どちらであっても、大切なのは、「会社任せにしない」という姿勢である。

あなたのキャリアのハンドルは、いつでもあなた自身が握っているのだから。

私らしさが一番!仕事で着る衣装の話

こんにちは、よすみです。

『衣装』って素敵な響きじゃないですか?

舞台やテレビで着る衣装、なんか高そうな衣装、カッコいい・かわいい・煌びやかな衣装。

衣装という言葉にそのようなイメージを持っていた私は、この業界に入る前までは『衣装』にフワッとした憧れを抱いていました。

そして芸人になったらいい素材のいい衣装を着るんだと思っていました。

今日はそんな私の衣装事情を少しご紹介しましょう。

私はお笑い芸人なので、漫才をする時用の舞台衣装を持っています。

以前ジェイウォームさんに漫才コンビ「桃花鳥(とき)」として取材して頂いた事があるので、その記事で私の衣装を見た事がある方もいらっしゃるかと思います。※1

その衣装なんですが、実は…

全部やっっっすいんです!!

靴も含め、全身で8000円くらいしか掛けてないんですマジで。靴が4000円、衣装上下合わせて4000円行くかな?というくらいです。

たまーにテレビのお仕事を頂いた際に着る衣装的なブルーのストライプシャツもあるんですが、それもSHEINで買ったものなんですよ!

プチプラファッション万歳!な私なので、我ながら「買い物上手だなぁ」と思ったりしています笑

でも正直、破茶滅茶に高い服はもちろん買えないですけど、もう少し衣装のランクを上げるというのも出来ない事はないんです。

たまに相方とも衣装について話す事がありますが、私の衣装はしばらく変わっていないです。

今でも安い衣装を使い続けるのは、私的に最も大事な理由があります。

『この衣装が1番自分に合っている』という感じがするからです。

自分で衣装を選んで買うようになり、大事なのは素材とか値段とかでなく「いかに自分を表現できるか」だという事に気づきました。

なんだか高い服は、着慣れてない感が出るというか、服に着られてる感があるというか…今の私にはまだ「合わない」感じがするんですよね。

かと言って安い服ばっかり合うのもどうなんだって感じですが笑

いつかランクアップして、高い衣装もしっかり着こなせるようになりたいですね!

その時の衣装はワンピースかな?スーツかな?相方と衣装について話した時には、お揃いの深緑のセーラー服って案も出てたなぁ…

私のいつか(多分めっちゃ先だけど)変わるランクアップ衣装、皆さん楽しみにしていてくださいね!

※1.ジェイウォーム記事「笑いから学ぶ仕事術」