何もやることが無かったおかげで

機内では文庫や新書くらいのサイズの本がちょうど良い。
LCCのメイン機体であるエアバス320は少し狭いので、パソコンを広げるのはちょっと憚られる。
でも本をカバンに入れ忘れたのだからしょうがない。スマホに繋げるイヤホンも忘れてしまった。
機内でずっとボーっとしているわけにもいかない。
飛行機の中で私は寝ることが出来ない。
シートベルトサインが消えたのでパソコンを開くことにした。

あいにく隣の人は寝息を立てているので、この画面を見られる心配もない。
別に見られても良いのだけれども、日記を覗き見されているようなスリルがある。
結局この文章も紙やらWEBに掲載されてダダ洩れになると言うのに。
書いては消して書いては消してという作業が、心の中をいちいち見られている感覚になるからだろう。

金曜日の新千歳発那覇行きはほぼ満席。ななめ後ろからもこの画面は丸見えの角度。
だが、そのななめ後ろの列だけ3席丸々空いている。乗り遅れたんだはず。3人揃って。
前の日に友達同士でエスコンフィールドに野球を見に行って、日ハム勝利で嬉しくて飲み過ぎたんだろう。
飛行機乗り遅れて沖縄旅行に行けなかったのも良い思い出だね~!って言い合える最高の仲間で良かったじゃないか!

機内にはWi-fiが無い。Wi-fiが無い環境に幽閉されているせいで、手持ち無沙汰ならぬ頭無沙汰になって、普段よりも思考する時間が増えている。
前述のものはどう考えても生産的ではない思考でした。
でも通信ができない状況だったから、自分自身との会話ができた。
現代人はもの思いに耽る時間がない。想像と妄想から夢が生まれると言うのに。

私は、割と機内では気を遣うタイプだ。座る席なりの気の遣い方がある。
今座っている通路側の席に当たった場合は、窓際の人に「お手洗い行く時は気にせず声を掛けてくださいね」と伝えることにしている。
これは過去に通路側の人が寝ていて、圧倒的な尿意のなか蓋をされてしまった私が自尊心を失くしそうになった過去のトラウマが起因している。

窓際に座った時に、窓を開けるべきか閉めるべきかは悩ましい。
お子さんやワクワク旅行の雰囲気の時はなるべく開けて、ビジネスマンっぽい様子の時は眩しくならないように閉めるようにしている。
うーん、たくさんの人たちがほぼ微動だにしない、絵変わりのない3時間半。あと2時間以上もあるがどうしよう。
頭の中で昆虫最強トーナメントでも考えてみるか。普段の生活ではそうそうできない。

─1時間後

優勝はカブトムシでした。決勝で対戦したカマキリの鋭いカマを分厚い皮で無効化し、6本の脚で完全にホールドしたあと、固い角でギロチンロックをして勝負ありでした。
傍から見たら機内でパソコンを広げて、一分一秒を無駄にしない仕事熱心な奴に思われているだろう。
ううん、カブトムシの強さに感銘を受けてただけ。
情報が氾濫している現代で、なかなか有意義な右脳のマッサージ。コラムも1本書き上げた。

世界はあなたが好きなものに溢れている…はずである!

最近バイクの免許を取った。
そもそも原付は20年以上乗っていたのだが、40歳目前にして急に自動二輪の免許を取ろうと思い立ち、その思い立った3日後には自練に入校していた。
周りがすでに乗っていた10代後半にはさほど興味を持たなかったのだが、20年振りに母校に戻って、高校生たちに混じって教習を受けて来た。

これまた楽しいのなんの。移動が楽しい。橋が楽しい。晴れた日が待ち遠しくなる。
しっかりと「楽しい~!」と声に出しながら運転してしまっている。
口を開けるもんだから、梅雨前のカラっとした風を思いっきり食べている。文字通り空気が美味しい。

そのうち北海道をバイクで走り抜けたい。あれもしたいこれもしたいという欲求は何歳になっても枯らせたくない。
やりたいことは手のひらからこぼれるくらいでちょうど良い。
やりたいことをやり尽くせないくらいの好奇心を若干余らせながら生涯を終えたい…

旅先に行くときは、毎回趣味に合わせたそれなりの目的がある。
私は競馬が人生のライフワークなものですから、大レースに合わせてその街に向かう。
さらに、風呂にも命を懸けていますから、その街の熱視線を浴びているサウナにも併せて行く。
そしてそして、大相撲も好きですから、本場所が開催されている時期に合わせて行きたい。
お酒を飲むのも好きだから、その土地のディープ酒場を飲み歩きたい。
そして移動は件(くだん)のバイクで出来れば最高である。1泊2日もあれば充分だ。

趣味の掛け算を重ねていって、いっぺんに自分で自分を悦ばせるギッシュな時間を楽しめる自信がある。
現役を退いたあとに、どう過ごしたら良いか悩んでいる人が増えているという。
あいにく私は多趣味な方である。別にそれに対して鼻に掛けるつもりはさらさらない。
仕事選びも趣味探しも基本スタンスは同じだと思う。自分の心が沸き立つ何かを探すということ。

だからいくつになっても心躍るセンサーは立たせておかないといけない。
必ず立たせないといけないと気負う必要はないが、将来の自分のために立たせておきたい。
いろんなことに出会う努力はしないまでも、工夫はしていきたい。
思い立った3日後に自練に入校する気持ちを持ち続けていれば、きっと10年後は今以上の人生の幅が出ているはずだ。

絶対的な価値基準がある人生は豊か!

先日、披露宴の司会を仰せつかりまして、その時の打ち合わせが打ち合わせ史上最も笑ってしまいました。

新郎さんの趣味が「タブラ」というインド太鼓で、これを余興で披露したいというリクエスト。
なかなか耳馴染みの薄い楽器だったので嬉々として話を聞いていたところ、最初はサークル的に楽しんでいたのだが、だんだんと演奏を極めてしまい、次第に作る方に興味を持って行かれたと。

もちろんタブラ作りの師匠など周りにもいないため、独学をして自作することに。まずは胴の部分を作るために、やんばるの森林組合に許可を得て倒木した木をGET。
ここからが本番。それをくり抜くために木工旋盤の機械を何十万円かけて購入。
それだけではなく、細かな削り加工のためのノミも必要になったのだが、適したものが売られていない。
これを鍛冶職人に頼み込んで特注で製作。
お次は、太鼓の叩く部分に張る皮が必要ということで、海外からヤギの皮(毛付き)を仕入れ、それを楽器用に加工するために、わざわざなめしの技術まで習得しました、というホンモノの方でした!(さらには、インドのことを知っていくうちに、今度はインドカレーに凝って研究しています、と来た!)

私はこの話を聞いて「面白い(interesting and funny)」と「嬉しい」が同居した感覚になったんです。SNSでの「映え」を意識した極大衆的な羨望を求めるような動きとは違って、この人は楽しさに対する絶対的な価値基準が自分の中にあって、揺らぐことのない豊かさが見えたんです。そしてこの探求心ですよ。

もっと真剣に遊んでいかないとなぁ。仕事が忙しいだなんて、人生を豊かにする上で何かの言い訳にしてはいけないと思えたんです。究極は、趣味があるので仕事している場合ではない!という状態ですね。

もちろん、日々必達の仕事はありますから、余白時間を作るために仕事効率化の必要が出てきますよね。(極論、趣味の余白に仕事をするという方もいるでしょう)
馬鹿みたいに楽しい趣味があれば、それが燃料となって仕事にもブーストが掛かる。
心から楽しいと思えることを見つけることが、どんな小手先の時間術よりも有効なのかもしれません。

それはジェネレーションギャップでは無いかもよ!

おじさんに対して風当たりが強い。でも別にこれは昨今に限った話ではなく、なんか僕の物心の範囲内で申し訳ないが、90年代からずっと風当たりが強い。
おじさんがネガティブワードになっている向きもあるが、何と言っても35歳以上の立派なおじさんはこの国に約4000万人いるのだ。
ダラしないおじさんもいれば、カッコいいおじさんもいる。そして、おじさんを揶揄する若い世代も、みんな横一列にじわじわとおじさんになっていく。

僕は数年前から「おじさんは蝶である」という理論を提唱している。
鼻を垂らして歩いた幼少期、自分は何かしらの才に恵まれていると思っていた身の程知らずの思春期(但しこの感覚は必要と添える)社会に飛び出したもののまだ脱皮しきっていない青年期。それらはまだ土の中にいる幼虫やじっくり備えているさなぎの時期。成熟し満を持して思いっきり羽ばたいているのが、おじさん=蝶なのだ。
おじさんは皆が思っているより楽しい。明日も明後日もおじさんが良い。
4000万人の蝶は今日もどこかで輝いている。もっとおじさんに優しい世の中になって欲しいと思う。

ここまで長々とした第一段落を書いたのは理由があって“下の世代に気を遣い過ぎているおじさんよ、自信を持とう”なのだ。
最近は、世代の差を笑われるのではないかという、萎縮する蝶が増えている気がしてならない。
コミュニケーションは結局、人と人の関係性なのだから、ジェネレーションギャップについての話でよくハレーションが起こっているのは、「おじさん」と「若者」という大きなイメージで括るからではないだろうか。

先入観で「若者は飲み会に来てくれない」と決めつけると、取り留めのない世代論で終わってしまう。
もっと個と個で考えたら分かりやすい。その若者にも仲の良いおじさんはきっといるはず。
どうか余裕のある大きな背中を蝶たちには見せて欲しい。

ただ、自分の世代を正当化したいがあまり、謙虚さが欠けるようなこともしたくない。
終身雇用の崩壊や年金システムの不安を抱えている世代の金銭感覚に対して、若者のブランド離れという陳腐な言葉をぶつけたくないし、非正規雇用で歯を食いしばって働き続けて来た就職氷河期世代の方に対して、労働市場の需給の恩恵で高い初任給をもらっている若者が余計な優越感を持つのもこれまた違う。

感じたギャップは世代のせいだと簡単に片付けるのではなく、そのマンツーマンの関係性にリスペクトが介在しているか。ふわふわとしたジェネレーションギャップは疑え!

どうせもがくなら20代のうちに!

20代って若さという武器を持っているし、そのフレッシュさが可愛くもあり眩しくもある。
学生期間を経て社会に飛び出して、夢や希望を抱えて仕事に打ち込んで、休みの日は趣味や遊びに謳歌して、人生の中でも輝きの季節…というはずだと私も思っていたんですが、20代がこれまでの中で最もつらい時期だったかも知れません。

その頃の僕と言えば、大学を卒業して就職もせず、オールナイトニッポンを担当したい!と言いながら活動拠点をTOKYOに移しまして。
かと思えば実際は週5でバイトをして空を掴むような日々。
オーディションを受けながら、まずはレギュラー番組をと、自分で土地勘も無いなかタウンページ片手にスポンサー獲得のための電話とメール営業。ビジネス文書も知らず、無知ゆえにできた行動。
大都会の攻略法が全く分からず、底冷えする寒さで天井を見上げてとにかく焦る焦る。

そうこうしているうちに、突然地元沖縄が輝いて見え、もう一度“沖縄の”ラジオパーソナリティとしてやっていきたいと再スタート。この時すでに25歳。
週1のレギュラーは頂けたものの、もちろん放送の仕事だけで食べていけるはずもなく、いろんなツテを頼りに司会や物書きの仕事をしながら食い扶持をつなぐも、唯一のレギュラー番組が終了。
もう名乗る何かも無くなってしまったぞという崖っぷちが28歳。
長く付き合って結婚を考えている彼女がいるも、来るかどうか分からないチャンスを待ち続けるだけの毎日。

しかしラストチャンスが待っていた!誰かが見てくれているという言葉は本当でした。
ラジオカーリポーターのオファーを頂き、そこからは初心忘れずのオールドルーキー。
やっとこさ胸を張って職業を名乗ることができ、彼女にも無事に捨てられず結婚。
仕事もなんとか繋がって、少しづつやりたい事も叶えさせてもらって、世帯主としての自尊心を保つことが出来たまま、30代を完走しようとしています。

もう20代の頃のようにもがきたくないと思いつつも、この時期がないと楽しいと思える30代は訪れなかったように思います。
自分が何をやりたいか、何にこの命を燃やすのか。
対する自己分析と適正、モチベーションは確かか。
自分のやりたいことは、この活動圏で埋もれるのか求められるのか。

ノートとペンを持って、毎夜毎夜自分と会話しながら、白紙を塗りつぶすように熱い感情と冷徹な判断を乗せた文字を重ねていく。
にじりにじり、自己を確立するための作業は果てしなく遠いものでした。

過去の自分の選択を裏切らないために、なんとかしようともがいた20代。
そうこうしているうちに、私も30代最後の年。おかげで30代はとても楽しかったぜ。
優しい目尻のシワと説得力のある分厚い手を手に入れるために、この先もこつこつ積み上げていくだけです。

失敗を失敗と思うことはやめよう

私今、美味しいカルボナーラを作りたいなぁと思って定期的に作っているんですけど、いつかの洋食屋さんで食べたあの味には全然近づかないですね。同じようなフライパンもガスコンロもあって、男が料理をするとき特有の「ちょっと高めの食材を揃える」までしっかりとやっているのに。

食材を揃えたら、あとは「加えて混ぜてをやれば良いだけなんでしょ」と高を括って、目分量で図っては(むしろ目分量がかっこいいのかもという勘違い)またもやちょっとしょっぱい。
そのカルボナーラをおかずにご飯が進みそうな仕上がりを繰り返しています。

なんて再現性の無いことをしているのでしょうか。
料理の味付けが成功するか否かの、超基礎にあたる塩加減すらメモしなかったおかげで、次作る時もまた味が濃くなり「失敗した」とか言って終わるのでしょう。
うーん…これは失敗でしょうか。失っていますでしょうか。敗れていますでしょうか。

この私には、やるべきことがたくさんあります。

「ちゃんとレシピに忠実な分量で作りなさい。」
「茹で時間を計りなさい。」
「卵は常温で置いておきなさい。」
「その億劫な性格から直しなさい。」

それを失敗と呼ぶのなら、怠慢は結果に出るぞと気付かせてくれた、まずはその失敗に感謝です。

そして私は明日こそは、食材を計量カップできっちりと計り、そのレシピの内容ぴったりのカルボナーラを作るでしょう。

しかし、ここでやっとスタートライン。
なにか人のレシピを説明書通りに組み立てただけで、つまらない。何かオリジナリティを足したい!
ベーコンを燻製にしたり、ニンニクを大量に効かせたエッジの効いたものを作りたい。
あーだこーだこねくり回しては、第1章の冒頭を繰り返すように、私はその第2章の冒頭も、焦げ臭いベーコンとアホニンニク味のカルボナーラを作るでしょう。

つまり、まだまだ途上である現状から及第点に進むためにも、試行錯誤は必要ですし、及第点に達しても尚、より良いものを目指す場合にも試行錯誤が必要なのでしょうと!

試行錯誤という言葉をあえて失敗と言い換えてみます。
努力しようという気持ちさえ起こらなければ、より良いものを作ろうとしなければ失敗なんてしなかったはずなんです。

そう、やる気があるから失敗するんです!
私は、美味しいカルボナーラを作りたいんです!

そして、ここは小技テクになるんですが「失敗は編集できます」
何か起こっても失敗を受け入れ、その立ち位置で出来ることを考えれば、失敗は成功のための経験へと編集できます。
そして振り返った時に、そのたくさんの編集点の欠片たちが愛おしく思えてくるものです。
大いにミスって、大いに可愛げを身に付けましょう。

12月は収まらないし収めない

師走だなんだ忙しいなど言いつつも、結局は12月が一番好きですって人は多いんじゃないですか。クリスマス、忘年会、年末年始休暇etc…

とは言っても、ラジオ番組はその年末年始など関係なく、曜日で放送は進んでいきますので、個人としては全然お休みモードっていう感じではないですね。逆に世間が休みなのに変わらず稼働しているアドレナリンモードという感じです。

去年の年末年始なんかは、年越し生特番を1時~4時にやって、そのまま局移動して7時~10時で朝のレギュラー生放送。11時の飛行機に乗って関東に住む義父の退職祝い、という我ながらタフネスな一日でした。いや本当にありがたい限りです。夜中のスケジュールって空いてるじゃないですか。入れます入れます!むしろ年末年始しっかり休めてしまったら、逆に精神衛生上良くないと言いますか。もう30代最後の年なのに、まだでんと構えられないという状態です。

むしろ社会が動いていないこの時期に、ゆく年にやり残したしわ寄せの処理と、くる年へのリードを取るみたいのはここ数年やっていますね。
しわ寄せは自分がやって来なかったから自業自得だとして、半歩でもリードして後でラクしたい。そう、新年を迎えても「この先あの確定申告があるのかぁ」と思ったら休まる気も休まらない。調子が良ければこの時期にやっちゃいます(これを読んでいる個人事業主のみなさんも是非)

正月休みが明けての仕事始め。大体1月の4日5日あたりですか。このあたりはまだ一般企業は新年の挨拶周りとかでアクセル踏んでいないんですよ。取引先と本格的な仕事のやりとりをするにはいささか早いよね、みたいな油断している時期。ここ!!ここで一気に休む!!世間の仕事始めに、俺は休む!という一種の優越感に浸れます。

僕、憧れているルーティンがあるんです。「ひとり合宿」って分かりますか?
例えば温泉宿なんかに2~3泊しながら、仕事の戦略、家庭や趣味などの人生の歩き方を自問自答して、大局的に今後の筋道を考えていきましょうっていうものなんですけど、こういう「振り返りと展望」って非常に大事だと思うんですよね。途中で右往左往するよりは、舵取りをはっきり決めた方が意味を持って日々を進められる。小さい子どもがいるので連泊は難しそうですが、日帰り合宿3daysという形で叶えられそうです。これはぜひ、締めと始まりが同居する年末年始にやっておきたいです。

なんやかんやで忙しいですよね12月は。潔さも大事です。僕は、小忙しいのにもっと忙しくしてどうするとの思いで「大掃除を年末にやらないといけない」という呪縛を捨てました!やらないわけじゃないですよ。沖縄には伝家の宝刀「旧正月が本当の年越し論」がありますから、そこはいい塩梅で自分を甘やかしながら、健やかな日々を送っていきましょう。

「否定されたらどうしよう」から抜け出す、小さな一歩。

特に沖縄は人間関係が比較的近いですから、こじらせたくないという意識からあまり主張することは少ないかもしれませんね。
また、自分の意見を言う時に、何が不安な気持ちにさせてしまうかって、おそらく「否定されたらどうしよう」という心理だと思うんですよね。

最近は何かを曲解して、相手を言い負かすことに対して快感を覚える人も見受けられますので、余計に怖気づきますよね。
ただ、「意見を主張する」というのは何も“結論を自分の意のままにする”というわけではなくて、“この意見を起点に、結論に向かって対話する”ということだと思います。

例えば、会議の参加率が低い!という議論になった時に、一方の主張が「とにかく全員参加だ!」という極端なものだった場合、「それならリモートやアーカイブ視聴OKにしましょう」という意見で手段を変えて全員が目指す目的を達成できます。

これは是か非で片付けるのではなく、「相手の言葉に耳を傾ける姿勢があるか否か」で左右される感覚だと思います。
意見や主張は対立させるものではなくて、両輪で前に進むものと考えると、幾分か自分の考えを伝えやすくなるのではないでしょうか。

まあ、ここまで言いましたけど、意見が無ければ無いでそれは良いんです。
意見を出すほどのこだわりが無いなら、わざわざ探そうとしてもしょうがないですから。
「あ、このことに関しては自分の中から意見が生まれてこないから、その程度の興味関心なんだな」と認識できただけでも前進です。

いや、意見が無いのに無理やり意見を言って現場が混乱する方が不幸ですからね!
声が大きい人に全体が引っ張られてしまうきらいがあるので、例えば立場が上の方が「何かここで意見を言っておかないと自分が薄っぺらく見えちゃうかな、どうしよう」くらいの感覚で、門外漢のことに対してそれっぽく意見してしまったその日にはっ!!!後輩や部下が、その分野では素人の意見におもねるように中身が変わってしまい、本来のクリエイティブが発揮できなくなりましたなんてこともあるでしょう(嗚呼懐かしの東京オリンピック開会式とか)
例え多少のプライドがあったとしても専門的な知識を持った人に「任せますよ」と言える度量を持っていきたいものです。

無理して意見を言ってもそれこそただ会議が長引くだけ、とかありますからね。そんな時、私は敢えて何も発しない「積極的沈黙」という作戦を取ります!
言いたい意見があった時には、一度言語化するために紙に書き起こしておくのも良いかもしれません。そしてそれを箇条書きにし、なるべく伝えたいことをシンプルにすると良いですよね。
そして紙に書いた言葉たちは一旦忘れて、読み言葉ではなく、自分の言葉で喋ると相手にも思いが伝わりやすくなると思いますよ。

攻めの失敗を重ねよう!

まずこれは断言できるのですが、人生ノーミスで過ごす人間なんていない!ということです。
人に迷惑を掛けたら反省すべきところですが、そうではなく自分の中で収まりの付く範囲なら別に大したことはありません。
実際、何か月か前のしくじった出来事なんて覚えていないですし、人間には「忘れる」という優秀なメカニズムが備わっています。

…ということを、何かあった際は自分に言い聞かせるように過ごしていますし、その攻略法で正解だと思っています。
そもそも「凹む」という感情自体、非常に曖昧なものです。

自分に期待し過ぎているからそういう感情になるだけで、現在地がそんなもんだと思えば立ち位置がはっきりとしてやるべきことが明確になります。
ですから、課題が見つかって、さらなるステップアップのチャンスなんだ!

…ということを、これまた自分自身に言い聞かせるように過ごしています。
その分、肝に銘じていることは「仕事の失敗は仕事で取り返す」ということです。
似たような場面が来るその時に備えて、先の失敗を繰り返さないようなシチュエーションはしないといけないと思っています。

失敗の種類にも、守りと攻めがあると思っていて、何もしなくて好機を逃す“守りの失敗”は何も得られるものが無かったという意味でやはり失敗だと思いますが、チャレンジした結果の“攻めの失敗”からは、やったからこそ分かる次に活かせるノウハウを身に付けられたことや、納得感のある諦めを手に入れられることは、次に進む大きな一歩だと思います。

あれと似てますね!書いてて気づきました。恋愛と似ています!告白したかしていないかで未練が残るかどうか。あの時のフラれた爽快感です!
若いころ、特に20代の頃は失敗なんて無いに等しいかもしれません。瞬間的には失敗だったとしても、長期的には経験です。

ですから、子どもにも自分の失敗は恥ずかし気もなく伝えるようにしています。こうやってしくじった経験を話すことで、子どももなるべく失敗しやすい=踏み出しやすい環境を作りたいと思っています。また、若気の至りでやってしまった恥ずかしい不義理を伝えて、同じ轍は踏まさない教訓になれば良いとも思っています。

失敗をエピソードに変えて浄化させるというのもひとつの手ですね。
「Spotifyをメキシコから乗っ取られて、お気に入り曲リストがラテンだらけになった」時は、ラジオのオープニングトークがひとつ出来たぞ!よっしゃ!くらいの感じでした(これはもしかしたら良くない感覚かもしれませんし、特に何か攻めた結果でもないですが!)

他人の失敗をチャレンジとして讃える習慣ができれば、自分の失敗にも寛容になれる気がします。元気にミスっていきましょう!

「無理をする」を取り除こう

仕事というのは本来は期待に応えるため「頑張る」ものだとは思っているのですが、頑張る=良い成果、とは一概に言えないところもありますよね。
時間と労力を掛けて取り組んだ仕事よりも、リラックスした状態でやった仕事の方が評価されたりします。国民的ソングの制作秘話で「30分で出来ちゃいました」的なエピソードがまさにそれです。

そういう意味では、何が評価されるか分からないんですよね。
頑張ったってのは自分の内側だけにおける感想だし、「こんなに頑張ったのに何で報われないんですか!」という自己満足は第三者は分かってくれないですから。
頑張るにも種類があると思っていまして「理想のビジョンに向かって頑張る」なのか、ただただ闇雲にノルマを詰め込んで「無理をして頑張る」なのか、その性格は全然違ってきます。

ですから、頑張るのはもちろん頑張るし頑張ってもらわなくちゃ困るんですけど、「無理をする」というところを取り除いていく努力をしていきましょう。

≪その①「先手を取る!」≫

皆さんも経験があると思いますが、自発的に頑張っているのってそこまで疲れないんですよね。部活とか受験とかがそうだったと思うんですけど、目標があると疲弊しない。
でも、人に言われてやる、締め切りに追われている、受け身なスケジュールになっている等の状態の時は、やらされてる感が出て一気に疲れてしまいませんか。

早めに仕事を進めて追われるより追うようにする、締め切りよりも余裕を持って仕上げる、アポの時間を完全に相手に委ねない(候補日時を出して選んでもらう・もしくは複数の候補日を先方から出してもらう)などの工夫で先手を取りましょう。
先手必勝で頑張れば、あとは幾分かラクになれるはずです。

≪その②「余白の質を高める」≫

時間貧乏性の私もやってしまいがちなんですけど、隙間を詰めすぎてしまうスケジュールの組み立て。これは自戒を込めて見直さないといけません。
この後にケツがあることでバタバタしてしまうことがあります。

この隙間をもったいないと思うのではなく、インターバルの時間と捉えることで、タスクのやり残しをこなすことも出来ますし、昼寝しても良いんです。

≪その③「よりプライベートな環境に近づける≫

これは人によって相性はあると思うんですけど、私は仕事とプライベートの境目があまりないのが合っているタイプです。
生放送や収録は大体スケジュールは固定されるんですけど、それ以外の場合ですと、作業する場所を変えてリフレッシュする、一旦サウナ入る、カレーの具材切って煮込んでいる間に作業する、爆音のロック聴きながらビートに乗せてコラムを書く(←イマココ)などすると、むしろ集中して効率良く進めることができます。

ただON/OFFのメリハリを付けた方が良いという方も多くいらっしゃると思いますので、その濃淡は自分にフィットする塩梅でお試しください。
頑張っているあなたほど、休む=怠けると捉えてしまいがちなのかもしれません。

休む=コンディションを整える=質の良い仕事に繋がる、と肯定的に捉えていきましょう。
息を吐いてばかりじゃ酸欠しちゃいますからね。同じ分だけ余裕を吸い込んでいきましょう。